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『理想の図書館とは何か: 知の公共性をめぐって』 図書館本の読書メモ vol.4

理想の図書館とは何か: 知の公共性をめぐって

理想の図書館とは何か: 知の公共性をめぐって

戦後の図書館の変遷から、図書館の社会的な位置づけ、学校教育、コミュニティ、サービス、といったさまざまな視点から図書館の持つ価値やその在り方について述べられている本でした。

 

図書館について学んだことのある人や、図書館の運営・管理に関わっている人、司書の人ならともかく、一般人にはなかなか難しい論点も多かったのですが、私の場合は「書評」を書きたいのではなくて、(図書館クエストに役立ちそうな)予備知識を得るために「読書メモ」を書き残すのが目的なので、さっくり気になったところだけ触れていきます。

 

第4章の「場所としての図書館」をめぐる議論では、主に米国での「場所としての図書館」に関する議論について述べられています。

どうやら米国では「場所としての図書館」論は、デジタル化・電子化との関係の中でアンチテーゼとして登場する議論のようなのですが、日本ではそのような議論の流れにはあまりなっていないようです。著者によれば、それは「自前の電子図書館論がつくれないのは自前の図書館論がないから」だということなんですが、日本での自前の図書館論がつくりだされようとしている「兆候」はあるようです。

それでも日本で自前の図書館論がつくりだされようとしている兆候と思われるものに「居場所としての図書館」論がある。地域社会における「居場所論」は学童保育や青少年問題、そして高齢者福祉などの観点で語られてきた。図書館は子どもたちや若者、子育て中の主婦、そして高齢者にとってそれぞれ異なった意味で「居場所」として認知されるようになっている。雑誌『世界』に掲載された虫賀宗博「私の居場所 自殺したくなったら、図書館に行こう」という論考は、そのタイトルにあるとおり図書館が地域生活において欠くことのできないプラス価値の要素を与える存在という評価が示されている。こうした見方はまだ限定されてはいるが徐々に広がり始めている。 (p.64)

 

また、「コラム4」で紹介されている青森市民図書館は、青森に旅行することがあったらぜひ立ち寄ってみたいと思います。

青森市民図書館は青森駅前の再開発ビル(通称アウガ)の六階から八階までに置かれている。(中略)地下一階から地上四階までは、飲食店とファッションを中心とした小売店となっている。その上の五階は多目的なホールや会議室がある「カダール」(津軽弁の「語る」からきているという)が入り、さらに上の三階分が市民図書館となっている。カダールの五階から図書館の八階までが、ガラス張りの吹き抜けの「インナーパーク」という開放的な空間が広がっている。図書館部分は八○○○平米あって、ひろびろした感じで悪くない。

 

補章「図書館奉仕」vs.「サービス経済」の最後にも、気になる部分がありました。

図書館はきわめて開放的で誰もが気軽に利用できる施設になった。(中略) 図書館が提供するものは、利用者を支援する「奉仕」であるよりも、利用者がレンタルサービスやネットでの検索などとともに選択すべきサービス群のひとつに転換しつつあるわけである。 (p.192)
今後、図書館法の枠組み自体の見直しも含めて、こうした政治経済学的議論を深めることによって、図書館サービスあるいは事業の性格をはっきりさせることが必要であるだろう。なお、誤解なきよう最後に付け加えれば、私は図書館法十七条を改正して積極的に有料制サービスを導入すべきと考えているのではなく、図書館サービスをもっとダイナミックに転換するには、「お金」がもつ大きな力をもっと取り入れることが図書館運営にとっても利用者にとっても有効だと考えているのである。十七条に関しては柔軟な解釈をすべきであろう。これが、ビジネス支援や駅前再開発に図書館が駈り出される時代の図書館のあり方である。 (p.192)

巷で話題になっている武雄市図書館が頭に浮かびましたが、「ビジネス支援や駅前再開発に図書館が駈り出される時代の図書館」というのは色々な期待ができそうです。子育て中の親子が訪れ、楽しめる場所として、図書館を中心とした街が出来たらいいなぁ。

 

 

*** あとがき ***

予備知識がない状態で読むにはちょっとハードルの高い本でした。後々、図書館についての知識が増えてきてから読みなおしてみたら、また違った発見があるかもしれません。